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野球鳥
・岡村浩二の球歴と店名の由来
ミスターベースボールは、誰がなんと云っても元巨人の長嶋茂雄さんです。
昭和49年 後楽園球場での引退セレモニーは,全国の野球ファンなら
はっきりとあの名文句『巨人軍は永遠に不滅です』を最後の言葉として
引退されたことを覚えておられると思います。
私も同じ昭和49年に選手生活を終了しました。
昭和36年から11年間阪急ブレーブスでプレーし、
その間阪急ブレーブスの初優勝の昭和42年から4回の優勝の美酒を
飲む事が出来ました。
日本シリーズは4回出場しましたが、V9の巨人には一度も勝つ事は
出来ませんでした。強力なONの破壊力にはただ恐れ入るばかりでした。
又あの満員の球場でのプレーは普段のパ・リーグのゲームとは違い
プレッシャーは計り知れないものがありました。オールスターゲームも
6回選ばれましたが一度は肉離れで辞退、日本シリーズ迄かかり満足に
出来る状態でなく『走らなくてもいいから出ろ』と云われ出場しましたが
パラリンピックかと新聞にたたかれた事を今だに忘れる事が出来ません。
昭和47年に東映フライヤーズにトレードで東京生活がスタートし、
昭和48年は球団が日拓ホームフライヤーズになり最後の昭和49年は
日本ハムファイターズとなり合計1370ゲーム出場でピリオドを
打ちました。私はトレードの時、『可愛い子は旅をしろ』と云われ、
印を押しトレードに応じましたが、どうも雰囲気がおかしく
又、阪急ブレーブスに帰えしてもらえそうもなさそうなので
地元香川県出身の阪急産業の堀田会長に球団に問い合わせてもらった所、
阪急ブレーブスとしては、お前を復帰さす気持ちはないとの返事でした。
阪急ブレーブスに復帰出来ないなら今度は引退後の生活を考えなければと
私には大きな問題になりました。トレードに出された一年目に聞いた事が
私にはラッキーでした。東京に残るか、西宮に帰るか、又は郷里高松に
帰るかと、3つの中からのチョイスでしたが私は、親父の墓のある高松に
帰る事に決めました。そこで悩みは何をすれば高松の人に気に入られ商売
できるか?でした。
私は元々、食べる事は夢中になるタイプでしたのでシーズンの遠征、
そしてオープン戦などで各地に行った時は、必ず食べ物屋巡りをして
いました。各地にお店の経営者の友達がいましたので、色々と相談に
乗ってくれました。友達の一人が東京の浜町の焼鳥店『六ちゃん』でした。
経営者に頼み込み、私の従弟を一人前にして欲しいと又、
私が引退後高松で開店出来る様に仕込んで欲しいと、一年で引退と思って
いたのが、三年になり昭和49年になりました。三年間のもう一つの
悩みは店名でした。只やきとり○○では、おもしろくないし、
小学三年生から始めた野球ですから何か、野球に関する名前は?と
シーズン中も遠征に行けば電話帳の店名探しでした。
今は、ドーム球場が多いですから雨でのノーゲームは少なくなりましたが、
昔は雨が降れば休みでした。ある雨のノーゲームの日に新宿に出ました所、
野球選手が多く寄る店で『球鮨』と云う店に初めて行った時、
店名を見た時に私はヒントを感じ野球に鳥を引っつけて、『野球鳥』に
すれば、焼鳥のイメージに合う。これだ!と決心しました。
店の方は従弟が有名店で仕込んでもらっているし、店名は決ったし、
あとは『タレ』だけでした。
どこの店も中々『タレ』は、教えてくれません。
案の定、焼鳥『六ちゃん』はタレは一升が幾らだからと云わまして、
これは困ったと途方に暮れていたら、ある日何気なく
日本ハムファイターズのマネージャーに
『誰か焼鳥店の主人を紹介して欲しい』と云った所、
東京育ちのマネージャーが、俺の友達が昔、焼鳥屋をやっていたけど、
今やめてるから聞いてみると云ってくれ、どうかな?と案じていたら
『いいよ!』と簡単に引き受けてくれ、
その時の『タレ』の味が今も変わらず35年続いています。
私は縁起はかつぐ方です。昭和49年に引退届を出しいつ、
店を開店するか迷いましたが、
私は、阪急ブレーブスの初優勝の日10月1日を選び
昭和49年10月1日に『野球鳥おかむら』は開店しました。
毎日毎日、串さしで、左手の人さし指は串が何回も突きさすので、
何球受けたか判らない親指と変わらない冷たくなった人さし指が
曲らない程、仕込みの毎日でした。夢中で過した一年目でしたが、
段々と気持にもゆとりが出来たので高校野球を見に行きました野球で
一番大事なキャッチボールが出来ていない球児を見て、これはアカンと
感じ今迄の野球生活が出来た恩返しに子供に野球を教えようと、
今度は小学校生徒を見にいきました。見に行って本当にビックリしました。
香川県には、小学校には野球はなくソフトボールだけで、
野球は中学校からという香川県の事情を知り、
私は友人の和歌山桐蔭高校の監督に昔、彼が極東大会で勝ち
アメリカ迄行き、世界大会で優勝したリトルリーグの事を
教えて貰い香川県でやる事にし、早速、選手募集をしたところ
370名応募にきました。使用球が硬式球なので危険ですので
入団テストをする事にしました。走力・遠投など運動神経を見せてもらい
昭和51年にリトルリーグ香川は発足しました。丸亀でもリトルリーグを
作るからと丸亀商業の熱心なファンで丸亀リトルリーグの応援者が
丸亀名物・骨付鳥の一鶴の社長でした。近藤社長が勧めてくれたのが
『商標』でした。サービスマークは最初は特許庁は受け付けてもらえず、
弁理士事務所に頼まず、直接特許庁に出願したのが『野球鳥』の
登録商標で、これも引退後22年間少年野球を続けたご褒美と思っています。
私には、全く縁がなかったホームページ類ですが、続々と三人の子供が
高松に帰って来てくれて私もブログや他店の情報を見るうちに野球鳥の
店名で商売をしている人の多さにビックリさせられました。
私は、現在野球鳥の商標は3件持っていますが、
使用者の方から断りの話も一度もなく、
この尽放置する訳にはいかないと思っていますが本当に困ったものです。
何の為の商標権か判りません理解に苦しみますね。
私の人生そのものが野球であり、応援して下さったファンの方々に
恩返しの気持ちも込めて毎夜営業しています。野球鳥の名のもとに、
多くの野球ファンの方が野球談議で盛り上がり、食べて、飲んで大いに
楽しんで頂きたいものです。この店名の『野球鳥』は私が商標権を持って
いますので、私だけしか使用できませんが、同じ店名でご希望される方が
おられましたら私がフランチャイズ方式で店名の貸与から営業のご指導に
至る迄、一切のお手伝いを致しますので、どうぞ御連絡下さい。
すばらしいgood willが発生して益々野球界が発展することを祈念致します。
今日は、平成21年9月25日です。息子からの知らせで、
元巨人のV9戦士の一人・土井正三君の訃報を知りました。
昭和49年に引退してから何回も何回も取材されました例の彼との
クロスプレーでのトラブルで私は日本シリーズ史上退場第1号となり
TV・新聞・スポーツ紙などで紹介されました。
彼の瞬間動作の走塁、又、ON力をフルに発揮さす場面を
作り出す上手さは本当に他チームから嫌がられる選手でした。
闘病生活も大変だったと思います。心から御冥福をお祈り致します。