2009月10月3日00:01:00
野球鳥 4番ライト岡村です。
今回は、懐かしい写真を発見!
父にコメントをもらい記事しました。
ワァー懐かしい写真です。
私の親父は中国・天津で召集された為、
私のお袋は姉・私・弟の3人を連れて、
残留孤児にならず日本へ帰ってきました。
親しい中国人が沢山おりましたが、皆が『子供達を置いて貴女だけ帰国しなさい』・『危険な事がいっぱいあるから残して帰りなさい』・
『世の中が正常になったら迎えにきたら』と言われましたが、お袋は受け入れず日本へ連れて帰ってくれました。並大抵の苦労ではなかったと思います。終戦後、親父は帰還し馴れぬ仕事と兵隊での疲れから、49歳で生涯を終えました。
お袋は、3人の子供を育てる為に始めたのが、『スタンドバー・ミモザ』です。
此のミモザのお陰で私達子供3人は学校に行く事が出来た思い出の店です。
私が、阪急時代に家を建てる事が出来たので、何度も何度も『お袋の部屋も作ったから一緒に住もう』と
誘ったのですが、お袋は親父の墓のある高松から離れませんでした。
そのミモザがあったので、私は現役を辞めて此の場所で、
昭和49年10月1日に『野球鳥おかむら』を開店する事が出来ました。
もし、お袋が高松に居なかったら誕生していなかったかも判りません。
阪急ブレーブスが昭和42年10月1日に初優勝が決まり、
翌10月2日にお客さんへの御礼の看板の前で撮ったスナップです。
此の場所は現在、高松の繁華街の入口で一等地になりました。
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